2013 8月 の日記


8月7日

「アイスクリームのはなし」

『 ごめんね
気をつける
アイスも一口あげる 』
それは真夏日に届いた、喧嘩の、謝罪の、メール
ごめんと共に届いたアイスクリーム

iPhoneの向こうで君がさしだすスプーンに乗っているであろう、一口分
わたしは口をつけなかった
そっぽを向いた
頭の中で、見えないアイスクリームが溶けていく

アイスクリームは大好物だ
だけど増えた体重を気にしているから、一緒に遊ぶ時はいつも君のを一口貰う

アイスクリームを食べよう、一口ちょうだい、と言ってわたしは冷凍庫から(自分の食べたい)アイスを出して、君に渡す

君の家の冷凍庫には常にアイスクリームがある
こんなの売ってたよ、美味しそうだよって、にこにこした君が仕舞って
わたしが遊びに行かないと減らないストックがある

いろんな味のハーゲンダッツや、クレープで巻いたもの、ビスケットに挟まったもの
ピノを一個づつ食べるときもある
カップなら、金のひらたいスプーンに掬って、一口という名目で三口食べる
隣に座って、君も三口くらい食べる
美味しいねぇって言う

喧嘩をした日、夕方になっても、夜になっても
わたしは君のくれたアイスクリームを無視していた
ぷいと背けた顔を戻したら、まだ、スプーンをさしだしてくれているだろうか
スプーンの上で、とっくにアイスクリームは溶けているけれど


喧嘩の始まりは、わたしをこども扱いしないでという、気持ちのひっかかりだった

だから、どうしたって、アイスクリームを一口食べちゃうわけにはいかなかったのだ
そんなのはこどもだ
分け与えられるのはこどもなんだ
だから、どうしたって、アイスクリームは一口じゃなくて、全部欲しい

ごめんねって、アイスクリームを全部くれたら
おとなぶって、君に一口あげるのに
優しくなって、思慮深い女王様みたいに賢くなって、半分だってあげるのに

こどもだと思って、一口しかくれない
そんな訳で
アイスクリーム全部頂戴よ!って、泣いて怒ってしまいたい

そんなのは、そんなのは、馬鹿げているけれど
だってわたしはこどもじゃないんだもん
だから、アイスクリーム全部頂戴ってば!

8月8日

「卵と向き合うことにした」

時折、自分のためだけに料理をする。
そして思う。
ひとりで食べるごはんをひとりで作ると、出来た時点で飽きるんだな、と。

それは世界から見ればこの上ない贅沢で、張り倒されても文句のひとつも言えないが、
ひとり暮らしをしていた時分からの悩みだった。
幸い料理をするのは嫌いではない。
しかし気合を入れれば入れるほど、出来上がることで満足してしまう。
家事に不慣れな人間にとっては、ひとり分を作るということがそもそも難しい。
食材を使い切りたいが故に「作りやすい分量」で調理。ファミリーサイズに仕上がり、
来る日も来る日も同じものを食べ続けることになる。お弁当の中身もいつも同じ。
食事=楽しみ、と言える料理上手には遠い生活。

学校を卒業して再び家族と暮らし、食事が大好きになった。
毎日違うものが、しかも様々の国の料理が食べられるなんて、夢のよう。
料理上手な母に感謝しつつ、現代日本に生まれた喜びを大臼歯でかみ締めた。

さて、八月に入り、世間は夏休み。
両親の不在により暫く自炊をすることになったわたしは、現在、卵と向き合っているのである。
時間の短縮を優先するため、献立は日持ちのする常備菜が中心になる。これは仕方がない。
昨日と同じものを食べる。
されど毎日の食事を楽しむために考えた。
自分しか食べない食事は、己の好みを把握する絶好の機会だ。
何かにこだわってみよう。
簡単に調理できるものがいい。
そうだ、毎朝、何かしらの調理法で鶏卵を一つ食べよう、と。

目玉焼きとはソース派やしょうゆ派に人気が二分しているものだと聞く。
iPhoneとAndroid、王と長嶋、ポールマッカーとニーと同様に人気を二分し、思い入れと主張があるのだろう。
はたして自分はどうか。
黄身部分を十字に切り込み、そこを目掛けて漫然とタバスコを振って食べているが、
本当にそれが一番好きなのだろうか。
ソースやしょうゆを垂らしたことはあったか。
蒸し焼きにしたふんわり白身の目玉焼きと、ふちがカリカリと香ばしいものだったらどちらが好きか。
ナイフでつくとプツリと破れて、黄身がとろりと流れ出す、絵本のような黄色い目玉焼きに仕上がるだろうか。
(こういうものは、心優しいクマが作っているような気がする)
砂糖と牛乳、塩だけで作る具の入らない黄金色の卵焼きのベストな配合はいかに。出し巻き卵の場合はいかに。
シンプルな食材は奥が深い。
それを朝食にするのも肝心だ。些細なことで、明日の訪れを、少し、楽しみにできる。
そして正確に作れば必ず出来上がる。それは心に良い事柄。

今日は、ふちをきちんと焼いた目玉焼きにソースをかけた。
目玉焼きにソースをかける習慣はないが、親しみのある味だった。
出来栄えに満足して、炒めたベーコンと野菜と共にゆっくりと口に運ぶ。
ひょっとしてこれは、古いアルバムを開いて自分を確認するような作業なのかもしれない。
アルバムの中のなんとなく覚えている出来事。身体の何処かで知っている味。
いつかどこかで、若しくはすごくたくさん、食べている。
こうやって、母が作ってくれたごはんを、自分のアルバムに整理しているのかもしれない。
そう考えながら。

明日は卵焼きを作るつもりだ。
お弁当じゃないから、牛乳を多めに入れてふわふわにしよう。
それはそうと、両親が出かけた日から一切誰とも会話をしていない。
気がつけば人間に会っていない。
卵より先に向き合うものがありそうな事実は秘す。
卵とじにして包隠す。

8月9日

彼は背筋をぴんと伸ばして歩いていく。
痩せた身体に、シワの無い白い長袖シャツ。
シャツの裾を丁寧に収めたベージュのパンツ。
ツバのある白い帽子、ウォーキングシューズとリュックサック。
軽いアウトドアのために見える、清潔に洗濯されている服を着て、
日差しの照りつける緑道を歩いていく。

公営住宅の中を走る緑道は美しい。
計画された街づくり、という言葉がぴったりの道。
親子連れや市民ランナーが行き交い、産地直送の花や野菜を売るワゴン車が止まる。
公園の遊具にかけられた誰かの忘れ物も、生活の気配として温かい。
青空、青葉、青草。
盛夏の桜並木。
ここを歩いている人はこの街の住人、という安心感がある場所。
わたしは数メートル後で、彼の後姿を見るともなく見ていた。

八月。
魂の炎上、喉も枯れよと叫んでいた蝉が、あちらこちらで地面に打ち臥している。
石畳の上に無統制に倒れる、命が尽きかけた蝉を
彼は慎重に手のひらに乗せると、道の脇の草むらへ歩み、そっと降ろした。
蝉はうつ伏せになって、土に頬を擦り付けているように見えた。
暫く歩くと、お腹を天に向け、掴むものを探すように手足を動かす蝉の前で彼は再び立ち止まり
手で掬って、木の股へと降ろす。蝉の足が木の肌を弱々しく掴む。

蝉は息絶えるときに何を思うのだろうか。
わたしには分からなかった。
彼が優しいのかも分からなかった。
ただ、このひとは死ぬ時は、お布団の上で死にたいんだろうな、とだけ思った。
黙って横を通り過ぎた。

死ぬときにはお布団の上で。
そう心に誓っているひとは、今日もきっと家に帰るのだろう。お布団は大概、家にある。
そんなに都合よくいくかなぁ、と思っているわたしも家に帰る。家に帰って布団にもぐる。
夜勤のひとも当直のひとも、今夜は帰りたくなぁい、と思っているひともそのうち帰る。

我が世の春!つっていうか、夏!だってさ。
彼らの下に広がる柔らかな草の上は、お日様匂いのお布団か。

8月14日

「どうやら、犬にナメられている。」

目を覚ましてリビングへ入ると、ワクワクした顔の犬と目があった。
お早うと挨拶を交わす。
部屋に昨夜と何ら変わったところはない。
彼が一晩中ひとりでいい子に過ごしていた証だ。なんて賢い子。
わたしは彼の待ち望んでいた「ご主人」ではないけれど、
せめてワクワクに答えよう。
そう考えて距離を詰めると、彼はおもちゃを咥え、挑戦的な眼で走りだした。
いざ!

追いかけっこ、ぬいぐるみ投げちゃうから取ってきてねゲームをして遊ぶ。
楽しいなあ、愉快だなあ。だけど遊んでばかりはいられないな。
先ずリビングの床を拭きたい。足型がスタンプみたいについている。
大人のわたしは頃合いを見て切り上げ、雑巾を取りに洗面所へ立つ。

夜の間、彼の手が届かない場所に移動させていたものを、
定位置に戻したのがよくなかったのだ。
リビングに戻ると、犬は棚に前足をかけて立ち上がり、御供えの桃を食べていた。

コラ!!
一心不乱に歯を立てる小さな背中を一喝するや否や、一目散に彼は走り出し、
レースカーテンの隙間からベランダへ飛び出した。
覗き込むと、ベランダの床に腹這いになり、自ら伏せのポーズで反省を示している。
一歩近づけば、伏せのままで後ずさり。
漂う緊張感。
伏した彼の前とわたしの間に、室外機の吐き出す熱い空気と無言の時間が流れた。

わたしは仁王立ちで言った。
「あのね、なんで怒られたのかが、すぐに思い当たるようなこと、するんじゃないよ」
廊下に立たされた小学生みたい。
叱った瞬間に自分でバケツを持って廊下に飛び出した、しょげた小学生。
南向きのベランダには日差しがじりじりと照りつける。
朝から30℃を超える日、毛皮を着ていらさぞ暑かろう。
「もういいから、中に入りなさい」
そう言っても彼は動かない。
仕方がないので抱き上げて部屋に入れた。

転がる桃を固定しようとしたのだろう。柔らかい果肉にはしっかりと爪の痕。
ギザギザに剥けた皮、べたりと潰れた桃のおしり。
ご主人の前では勝手にものを食べるなんてこと、しないのに。
ナメておられるのか。ナメておられるのね。
無言で掃除を始めると、彼は少し距離を置いて付いてきた。
怒ってますか?じっと見てくる彼。
怒ってますよ、居ることに気がつかないふりをするわたし。
ここで湧いた疑問が二つ。
①叱ったときって、いつまで怒ってたらいいの?
②なんでナメられてるの?

一つ目。
きっと、わたしが怒っていたことを忘れたときじゃ、ないでしょう。
いつまで怒っていたらいいのだろう。
相手が理解したのかなんて、分からない。
「分かったの?」と訊くと、バツが悪そうに、下ばかり向く彼の顔を撫で、
彼がわたしの顔を舐めたところで終わりにした。
ナメられてる子に舐められて終了。

二つ目の理由は、薄々勘付いている。
犬にとって、たまに遊ぶ友達でしかない、という事実に加え、わたしも昨日、桃でやらかしたのだ。
デザートに食べた桃のおくるみ(発泡スチロールの衝撃緩和ネット。フルーツキャップというらしい)を弄び、
肘関節、あわよくば両ひざにも装着してポーズを決め
「シャキーン!」とか「腕は折れても心は折れていないわ!ももレンジャー!」
などと言ってへらへらしようとしたら。
「桃のそれは、毛がいっぱいついてるから、いじりまわさない方が良いわよ」
「桃の毛は散るし、硬くて痛いからね」と、
遊びの気配を察した母に諭された。
その通りだ。
すみません、いえ、どうしてもやりたいってわけじゃないんです。本当です。

ちょっとベランダで伏せてくるね。
もうじき梨の季節になったら、両手足に装着して変身しよう。梨なら毛も散らばらないし。
「キュア黄緑!どうしたって二十世紀よ!」とか言おう。
そしてまた、犬になめられる。
望むところだ。

8月15日

今年の夏について。

じょじょじょじょじょ 汗が流れて じぇじぇじぇじぇじぇ

8月17日

こんな時代だから、みんなも経験、あると思うんだ。
好きなひとに、ブログ見られたり、Twitter見られたり、Fb見られたり。
暗に好きだって書いちゃってるのに。笑
うわー、恥ずかしい、どうしよう!…って、慌てふためくよね。
顔、真っ赤なまま、友達に速攻電話しちゃうやつ。笑

実は昨日、わたしにもそれが起こりました。
だから逆に…ポエムに心境と状況を綴ってメールで送ったら、スル〜されました。
ダメだったかな、根本的に。
それでは聞いてください。

「赤面.com」

久しぶりに書いたのは
のろけ話だった
君はそれを見た
赤面.com

君のことが好きだって
世界に発信してごめん.jp


※友達に一部始終を電話相談した方が良いでしょうか。
間に合いますかね。

8月19日

『 好き嫌いのこと 』

君のベッドで目を覚まして、急に悲しくなった。
おやすみと言いあって眠った君は、かわらず隣にいてくれる。
目を閉じる、少しひげの伸びた顔。
タオルケットは、冷房のタイマーが切れると同時に跳ね除けたようで、
身体の下でしわくちゃになっている。
寝癖のついたくせっ毛が愛おしい。
けれどわたしは孤独だった。
ぼんやりと思う。

「もし、この人と結婚したら、一生ゴーヤが食べられないのかな」

泣きそうになる。
寝ぼけた頭に、その結論は辛かった。


昨夜のことだ。
仕事帰りの君と待ち合わせて、スーパーマーケットに出かけた。
食事と食卓を愛しているひととご飯の話をするのはとても楽しい。
君とわたしは味の好みが似ていて、揃って食いしん坊だ。
二人で夕食を決めながら買い物をすることを、君は好いてくれていて、
冷蔵庫の中身を思い出しながらあれこれ迷い、
選んでいく時間が家族みたいだと喜ぶ。
おままごとで
「もぐもぐごっくん、おいしいね」と言われるお母さん役は、
こんな風に少し恥ずかしくて、「どうぞめしあがれ」と言うのが嬉しいんだっけかな。

野菜が好きな君は、白いトウモロコシをカゴに入れ、
藁で包んだ納豆を大切そうに手のひらに乗せて、その風貌の愛らしさに身悶えていた。
その日はいまひとつメニューの決め手に欠けたまま、
野菜売り場も魚や肉も通り過ぎていたのだけれど、豆腐を見てピンときて、わたしは言った。
「今日、ゴーヤチャンプルーにしない?」
君が言った。
「うーん、僕、ゴーヤはあんまり…」

それだけのこと。
そのときはそこまでショックではなかったのだ。
気分にぴったりを見つけたと思ったのに違ったねぇ、と残念な顔をしたら
「食べられないわけじゃないから、ゴーヤにしよう」
と言ってくれた。
審議の末、結局主菜は、「豆腐チャンプルー」。
美味しく頂いて、食後は二人で皿を洗い、犬の散歩をした。
おやすみと言い合って幸福に眠ったのだ。
それなのに目が覚ましたら、胸が痛くなった、というのが事の顛末。
でもだって、ひょっとしたら、一生、なのだもの。

君はきっと、食べていていいよと言ってくれる。
そんなに頻繁に、食卓に上る野菜ではない。
アレルギーがあったり、好き嫌いの多いひとはもっと大変。
一体何がこんなに悲しいのだろう。
好きなひとと「美味しい」という気持ちを共有できないのは、
とてもつらいことだけれど、そうじゃなくて。
今日もきちんと朝がやってきて、
横ですやすや眠る君の心臓はきっと、落ち着いた音を立てて動いている。
それだけでとても美しいのに。

おそらくすべての「二人」に、この問題は生じている。
好き嫌いのあるひとは珍しくないし、
思えば自分の父にも祖父にも得意でない食べ物はある。
すると母も祖母も、無償に悲しくなった朝があったのだろうか。
「あんまり堂々と食べるのは気が引ける!」と急に焦りだす心が。
二人で過ごす上で重大なことはもっと他にある。
けれどもきっと、世界中で、誰かが子どもみたいにがっかりしている。
なんだか滑稽で、可愛くて愛おしい。

翌日、ゴーヤを刻んで茄子やトマトと一緒に煮込み、ラタトゥイユを作った。
たっぷり食べた。君のいない場所で。もちろんとっても美味しかった。

「結婚したら、今までみたいに遊べなくなる!」と急に焦りだす、胃袋の話。

8月21日

『メロンパンとブラジャー』

「メロンパンってそんなに美味しいか?」
「女子め」
「流行に踊らされているのではないか」
殿方にそう言われて、思った。
「好きだよ、だって、メロンパンって、ブラジャーだもん!」 と。
ついでに思った。
「お前らだって好きだろ、ブラジャーは!」 とも。

メロンパンは人気が高く、
姿かたち、名前までも各社、創意工夫がなされ、限定、幻、個数制限の乱れ打ち。
街のパン屋さん、スーパーやコンビニ、学校の購買部はもとより、
専門店が車で街を移動したり、
サービスエリアやデパートで販売されて大行列ができたりと、
大変に珍重されている。
初めてメロンパンを食べた日のことは覚えていないが
わたしの人生にメロンパンが確固として登場した日を覚えている。
小学生のときだった。
学校から帰ってきた2つ年上の姉が
「ファミリーマートのチョコチップメロンパンが欲しい」 と言った。
仲良しグループで、揃って同じものを食べるのだ、と。
パンについて、
パンって食べると美味しいよね!程度にしか感じていなかった初心な小学生は、
年上の少女たちがする、秘密の儀式めいた行動と
そのお店のそのメロンパンじゃないと駄目、
と言い切らせるほどの魅力的なメロンパンに蟲惑された。
その日からメロンパンは 「特別に素敵」 で 「ちょっとおねえさんみたい」 なのだ。

まあるいパン生地。
軽やかに走る、メロンの線。
なんたって響きまで可愛いのだ。
めろん、ぱん。
白眉は、ふくらみからこぼれるほど施されたクッキー生地の、可憐さ。
グラニュー糖が反射するキラキラした光。
ふわふわしたものを包む、素敵なデコレーション。

例え落ち込むことがあっても、体調が悪くても、見せる予定なんてまるでなくても
そこがふわふわと、キラキラとしているだけで、
心が強くなり、凛としていられる部分を、わたしたちは知っている。
ぷっくりとしたカップ。
ふくらみに添うレースの刺繍。
ため息がでるようなモチーフコサージュ。
煌めくラインストーン。
そういうものが「ちょっとおねえさんみたい」で照れくさかった少女の頃から、
優しく包んでくれている。

クラシカルなメロンパンは、シンプル。
けれど清楚なレースがたっぷり付いている。
メロンパンにしたって、ブラジャーにしたって
嫌いであるわけがない。

さて、「お前らだって好きだろ!」 に異論は無いものとして話を進めるけれど、
「そんなに美味しいか?」 について。
殿方に逆にお尋ねしたい。
「ブラジャーだったら、何でも好きなの?」 と。
「コンビニのメロンパンは、つまり。コンビニの雑誌棚で見られるブラジャーだからね」 と。
コンビニパンの昨今のクオリティ上昇たるや、目を見張るものがある。
コストパフォーマンスに優れたパンも好きだし、それぞれに味わい深いけれども。
メロンパンはブラジャーなのである。
両者を引き合わせれば同じではないだろか。
限定だの、幻の~だとと訴えかけてくることも。
若い子たちのエネルギーはコンビニでシンプルに補給されることも。

時折、食べる前の方が美味しかったなぁ、と思うメロンパンに出会う。
あの気持ちは、
マネキンが着けてる方が可愛かったなぁ、としょんぼりする試着だ。
メロンパンの、
パン部分は無くても良い!と考えている女のひとは、
ブラジャーのパッドなんて洒落くさいわ!と考えている潔いタイプで、
逆にメロンパンのクッキー生地だけを集めたお菓子。
あれはもう、メロンパン界のユザワヤなのだ。

食べられないけど、味が分かるものがある。
雲を食べてみたい、と思ったことがないだろうか。
雲を食べたら、きっと甘い味がする。
食べたことも無く、食べられもしないけど、味を知っているのだ。
ブラジャーもそういうもののひとつ。
見ただけで嬉しくなる、ふかふかの、メロンパンの味だ。
あれは、まあるくてあまい味のかたち。

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