2015年6月8日

世界的アーティストの「脳を風邪の菌が行ったりきたりしている」
という内容の呟きを読み、
素人ながら、それは一大事なのでは?すぐに受診されたし、と思った。
(素人は、知識、経験が浅く、人として一人前ではない、
人間としてシロウト、とういう意味。(cf:プロの人類))
でも、比喩表現かな?とも思った。
感覚的な話だよね?と。

感覚と物理的事実には差がある。
わたしは脳みそが腐っているのだ。
勿論、感覚としての話だが。

わたしの脳は、あれに似ている。
茹でられてパックに詰まって売られている、出来合いのそうめん。
あれに色や形状がそっくりなのだ。
だらしなく伸びて、引っ張るとぶちぶちと切れてしまうが、
痛みは感じずに、どこを切っても同じ断面を見せる。
その様子で、さらに悪いことに、腐っている。

いつから腐っていたのかは定かではなかった。
学生時代のある日、腐っていたことに気がついたのだ。
それが最近になって、時期が割り出された感がある。

親からの証言によると、
「あなたは汗っかきの子どもだった。
一歳になる直前の夏の頭部ときたら、
生え揃わない髪の間に玉の汗が浮いて
一日二度のシャンプーをしても間に合わぬ。
自分の子どもならすべてが愛しく感じる親ですら、
抱きしめるとめまいがして、
脳が腐っているのかと錯覚するほどだった」そうなのだ。

聞いて、ぴんと来た。
そのとき、錯覚ではなく、腐っていたのだろうと。
一歳になる前の夏に脳が腐った。
自分で発見するよりもはるか昔に。

親の語る幼児期の思い出話は
「洗いすぎを恐れず、
シャンプーや濡れタオルでのふき取りをもっと頻繁に行えば
赤子が快適に過ごせたのではないか」という
反省と次世代への引継ぎが主題だったが、
「あなたにもすまなかった」と詫びられると、
腐敗も認められた気持ちになる。
三十年も腐っているなら、人間としてはシロウトだが、
脳腐れとしてはセミプロなのではなかろうか。
栴檀は双葉より芳し。
親にはいつも感謝の気持ちでいっぱいだ。