Category: ごはんの話


8月7日

「アイスクリームのはなし」

『 ごめんね
気をつける
アイスも一口あげる 』
それは真夏日に届いた、喧嘩の、謝罪の、メール
ごめんと共に届いたアイスクリーム

iPhoneの向こうで君がさしだすスプーンに乗っているであろう、一口分
わたしは口をつけなかった
そっぽを向いた
頭の中で、見えないアイスクリームが溶けていく

アイスクリームは大好物だ
だけど増えた体重を気にしているから、一緒に遊ぶ時はいつも君のを一口貰う

アイスクリームを食べよう、一口ちょうだい、と言ってわたしは冷凍庫から(自分の食べたい)アイスを出して、君に渡す

君の家の冷凍庫には常にアイスクリームがある
こんなの売ってたよ、美味しそうだよって、にこにこした君が仕舞って
わたしが遊びに行かないと減らないストックがある

いろんな味のハーゲンダッツや、クレープで巻いたもの、ビスケットに挟まったもの
ピノを一個づつ食べるときもある
カップなら、金のひらたいスプーンに掬って、一口という名目で三口食べる
隣に座って、君も三口くらい食べる
美味しいねぇって言う

喧嘩をした日、夕方になっても、夜になっても
わたしは君のくれたアイスクリームを無視していた
ぷいと背けた顔を戻したら、まだ、スプーンをさしだしてくれているだろうか
スプーンの上で、とっくにアイスクリームは溶けているけれど


喧嘩の始まりは、わたしをこども扱いしないでという、気持ちのひっかかりだった

だから、どうしたって、アイスクリームを一口食べちゃうわけにはいかなかったのだ
そんなのはこどもだ
分け与えられるのはこどもなんだ
だから、どうしたって、アイスクリームは一口じゃなくて、全部欲しい

ごめんねって、アイスクリームを全部くれたら
おとなぶって、君に一口あげるのに
優しくなって、思慮深い女王様みたいに賢くなって、半分だってあげるのに

こどもだと思って、一口しかくれない
そんな訳で
アイスクリーム全部頂戴よ!って、泣いて怒ってしまいたい

そんなのは、そんなのは、馬鹿げているけれど
だってわたしはこどもじゃないんだもん
だから、アイスクリーム全部頂戴ってば!

8月8日

「卵と向き合うことにした」

時折、自分のためだけに料理をする。
そして思う。
ひとりで食べるごはんをひとりで作ると、出来た時点で飽きるんだな、と。

それは世界から見ればこの上ない贅沢で、張り倒されても文句のひとつも言えないが、
ひとり暮らしをしていた時分からの悩みだった。
幸い料理をするのは嫌いではない。
しかし気合を入れれば入れるほど、出来上がることで満足してしまう。
家事に不慣れな人間にとっては、ひとり分を作るということがそもそも難しい。
食材を使い切りたいが故に「作りやすい分量」で調理。ファミリーサイズに仕上がり、
来る日も来る日も同じものを食べ続けることになる。お弁当の中身もいつも同じ。
食事=楽しみ、と言える料理上手には遠い生活。

学校を卒業して再び家族と暮らし、食事が大好きになった。
毎日違うものが、しかも様々の国の料理が食べられるなんて、夢のよう。
料理上手な母に感謝しつつ、現代日本に生まれた喜びを大臼歯でかみ締めた。

さて、八月に入り、世間は夏休み。
両親の不在により暫く自炊をすることになったわたしは、現在、卵と向き合っているのである。
時間の短縮を優先するため、献立は日持ちのする常備菜が中心になる。これは仕方がない。
昨日と同じものを食べる。
されど毎日の食事を楽しむために考えた。
自分しか食べない食事は、己の好みを把握する絶好の機会だ。
何かにこだわってみよう。
簡単に調理できるものがいい。
そうだ、毎朝、何かしらの調理法で鶏卵を一つ食べよう、と。

目玉焼きとはソース派やしょうゆ派に人気が二分しているものだと聞く。
iPhoneとAndroid、王と長嶋、ポールマッカーとニーと同様に人気を二分し、思い入れと主張があるのだろう。
はたして自分はどうか。
黄身部分を十字に切り込み、そこを目掛けて漫然とタバスコを振って食べているが、
本当にそれが一番好きなのだろうか。
ソースやしょうゆを垂らしたことはあったか。
蒸し焼きにしたふんわり白身の目玉焼きと、ふちがカリカリと香ばしいものだったらどちらが好きか。
ナイフでつくとプツリと破れて、黄身がとろりと流れ出す、絵本のような黄色い目玉焼きに仕上がるだろうか。
(こういうものは、心優しいクマが作っているような気がする)
砂糖と牛乳、塩だけで作る具の入らない黄金色の卵焼きのベストな配合はいかに。出し巻き卵の場合はいかに。
シンプルな食材は奥が深い。
それを朝食にするのも肝心だ。些細なことで、明日の訪れを、少し、楽しみにできる。
そして正確に作れば必ず出来上がる。それは心に良い事柄。

今日は、ふちをきちんと焼いた目玉焼きにソースをかけた。
目玉焼きにソースをかける習慣はないが、親しみのある味だった。
出来栄えに満足して、炒めたベーコンと野菜と共にゆっくりと口に運ぶ。
ひょっとしてこれは、古いアルバムを開いて自分を確認するような作業なのかもしれない。
アルバムの中のなんとなく覚えている出来事。身体の何処かで知っている味。
いつかどこかで、若しくはすごくたくさん、食べている。
こうやって、母が作ってくれたごはんを、自分のアルバムに整理しているのかもしれない。
そう考えながら。

明日は卵焼きを作るつもりだ。
お弁当じゃないから、牛乳を多めに入れてふわふわにしよう。
それはそうと、両親が出かけた日から一切誰とも会話をしていない。
気がつけば人間に会っていない。
卵より先に向き合うものがありそうな事実は秘す。
卵とじにして包隠す。

8月19日

『 好き嫌いのこと 』

君のベッドで目を覚まして、急に悲しくなった。
おやすみと言いあって眠った君は、かわらず隣にいてくれる。
目を閉じる、少しひげの伸びた顔。
タオルケットは、冷房のタイマーが切れると同時に跳ね除けたようで、
身体の下でしわくちゃになっている。
寝癖のついたくせっ毛が愛おしい。
けれどわたしは孤独だった。
ぼんやりと思う。

「もし、この人と結婚したら、一生ゴーヤが食べられないのかな」

泣きそうになる。
寝ぼけた頭に、その結論は辛かった。


昨夜のことだ。
仕事帰りの君と待ち合わせて、スーパーマーケットに出かけた。
食事と食卓を愛しているひととご飯の話をするのはとても楽しい。
君とわたしは味の好みが似ていて、揃って食いしん坊だ。
二人で夕食を決めながら買い物をすることを、君は好いてくれていて、
冷蔵庫の中身を思い出しながらあれこれ迷い、
選んでいく時間が家族みたいだと喜ぶ。
おままごとで
「もぐもぐごっくん、おいしいね」と言われるお母さん役は、
こんな風に少し恥ずかしくて、「どうぞめしあがれ」と言うのが嬉しいんだっけかな。

野菜が好きな君は、白いトウモロコシをカゴに入れ、
藁で包んだ納豆を大切そうに手のひらに乗せて、その風貌の愛らしさに身悶えていた。
その日はいまひとつメニューの決め手に欠けたまま、
野菜売り場も魚や肉も通り過ぎていたのだけれど、豆腐を見てピンときて、わたしは言った。
「今日、ゴーヤチャンプルーにしない?」
君が言った。
「うーん、僕、ゴーヤはあんまり…」

それだけのこと。
そのときはそこまでショックではなかったのだ。
気分にぴったりを見つけたと思ったのに違ったねぇ、と残念な顔をしたら
「食べられないわけじゃないから、ゴーヤにしよう」
と言ってくれた。
審議の末、結局主菜は、「豆腐チャンプルー」。
美味しく頂いて、食後は二人で皿を洗い、犬の散歩をした。
おやすみと言い合って幸福に眠ったのだ。
それなのに目が覚ましたら、胸が痛くなった、というのが事の顛末。
でもだって、ひょっとしたら、一生、なのだもの。

君はきっと、食べていていいよと言ってくれる。
そんなに頻繁に、食卓に上る野菜ではない。
アレルギーがあったり、好き嫌いの多いひとはもっと大変。
一体何がこんなに悲しいのだろう。
好きなひとと「美味しい」という気持ちを共有できないのは、
とてもつらいことだけれど、そうじゃなくて。
今日もきちんと朝がやってきて、
横ですやすや眠る君の心臓はきっと、落ち着いた音を立てて動いている。
それだけでとても美しいのに。

おそらくすべての「二人」に、この問題は生じている。
好き嫌いのあるひとは珍しくないし、
思えば自分の父にも祖父にも得意でない食べ物はある。
すると母も祖母も、無償に悲しくなった朝があったのだろうか。
「あんまり堂々と食べるのは気が引ける!」と急に焦りだす心が。
二人で過ごす上で重大なことはもっと他にある。
けれどもきっと、世界中で、誰かが子どもみたいにがっかりしている。
なんだか滑稽で、可愛くて愛おしい。

翌日、ゴーヤを刻んで茄子やトマトと一緒に煮込み、ラタトゥイユを作った。
たっぷり食べた。君のいない場所で。もちろんとっても美味しかった。

「結婚したら、今までみたいに遊べなくなる!」と急に焦りだす、胃袋の話。

8月21日

『メロンパンとブラジャー』

「メロンパンってそんなに美味しいか?」
「女子め」
「流行に踊らされているのではないか」
殿方にそう言われて、思った。
「好きだよ、だって、メロンパンって、ブラジャーだもん!」 と。
ついでに思った。
「お前らだって好きだろ、ブラジャーは!」 とも。

メロンパンは人気が高く、
姿かたち、名前までも各社、創意工夫がなされ、限定、幻、個数制限の乱れ打ち。
街のパン屋さん、スーパーやコンビニ、学校の購買部はもとより、
専門店が車で街を移動したり、
サービスエリアやデパートで販売されて大行列ができたりと、
大変に珍重されている。
初めてメロンパンを食べた日のことは覚えていないが
わたしの人生にメロンパンが確固として登場した日を覚えている。
小学生のときだった。
学校から帰ってきた2つ年上の姉が
「ファミリーマートのチョコチップメロンパンが欲しい」 と言った。
仲良しグループで、揃って同じものを食べるのだ、と。
パンについて、
パンって食べると美味しいよね!程度にしか感じていなかった初心な小学生は、
年上の少女たちがする、秘密の儀式めいた行動と
そのお店のそのメロンパンじゃないと駄目、
と言い切らせるほどの魅力的なメロンパンに蟲惑された。
その日からメロンパンは 「特別に素敵」 で 「ちょっとおねえさんみたい」 なのだ。

まあるいパン生地。
軽やかに走る、メロンの線。
なんたって響きまで可愛いのだ。
めろん、ぱん。
白眉は、ふくらみからこぼれるほど施されたクッキー生地の、可憐さ。
グラニュー糖が反射するキラキラした光。
ふわふわしたものを包む、素敵なデコレーション。

例え落ち込むことがあっても、体調が悪くても、見せる予定なんてまるでなくても
そこがふわふわと、キラキラとしているだけで、
心が強くなり、凛としていられる部分を、わたしたちは知っている。
ぷっくりとしたカップ。
ふくらみに添うレースの刺繍。
ため息がでるようなモチーフコサージュ。
煌めくラインストーン。
そういうものが「ちょっとおねえさんみたい」で照れくさかった少女の頃から、
優しく包んでくれている。

クラシカルなメロンパンは、シンプル。
けれど清楚なレースがたっぷり付いている。
メロンパンにしたって、ブラジャーにしたって
嫌いであるわけがない。

さて、「お前らだって好きだろ!」 に異論は無いものとして話を進めるけれど、
「そんなに美味しいか?」 について。
殿方に逆にお尋ねしたい。
「ブラジャーだったら、何でも好きなの?」 と。
「コンビニのメロンパンは、つまり。コンビニの雑誌棚で見られるブラジャーだからね」 と。
コンビニパンの昨今のクオリティ上昇たるや、目を見張るものがある。
コストパフォーマンスに優れたパンも好きだし、それぞれに味わい深いけれども。
メロンパンはブラジャーなのである。
両者を引き合わせれば同じではないだろか。
限定だの、幻の~だとと訴えかけてくることも。
若い子たちのエネルギーはコンビニでシンプルに補給されることも。

時折、食べる前の方が美味しかったなぁ、と思うメロンパンに出会う。
あの気持ちは、
マネキンが着けてる方が可愛かったなぁ、としょんぼりする試着だ。
メロンパンの、
パン部分は無くても良い!と考えている女のひとは、
ブラジャーのパッドなんて洒落くさいわ!と考えている潔いタイプで、
逆にメロンパンのクッキー生地だけを集めたお菓子。
あれはもう、メロンパン界のユザワヤなのだ。

食べられないけど、味が分かるものがある。
雲を食べてみたい、と思ったことがないだろうか。
雲を食べたら、きっと甘い味がする。
食べたことも無く、食べられもしないけど、味を知っているのだ。
ブラジャーもそういうもののひとつ。
見ただけで嬉しくなる、ふかふかの、メロンパンの味だ。
あれは、まあるくてあまい味のかたち。

9月12日

『人間の皿』

人としての器に形があるなら。
自分の器はどんな形をしていると思う?
大きさはどのくらいで。
人生に添うような深みのある色をしているだろうか。
器まで至らぬ「人としての醤油皿」か。
人物の大きさの話は、ちょっとしてみただけで、食器としての器。け。
器が好き。
食器を選びにいくときの話。


新しい食器を選ぶとき。
ギャラリーで、デパートで、雑貨屋で。
色や形、大きさ、材質。重さに手触り、価格、取り扱い方。
流行り廃り、高台の裏まで確認して、
作家ものは模様や焼き目がひとつずつ違うからって、
在庫を全部広げて貰って悩んで、
家のどこに置くか、うちの棚は直径何センチまでの食器なら入るか
確認してから又来ます、と悩んだままに店を出て
帰り道に出した結論が
「しかし、セリアって頑張ってるよね。」
「もう一歩なんだけど。105円じゃ、超えられない一線なのか。」
「あと、もう一回ニトリも確認しよう。」
だったりするのが、食器あるある。

足の向くまま、棚に面を並べた器たちを眺め、
これは、という一品に出会うと。
先ず、主な用途を思う。
これは茶碗だとか、汁椀だとか、魚の長皿だとか。
メインディッシュをワンプレートに盛り付ける、とか、
取り分けに丁度いいとか。そういう、本来の用途。
次に、それ以外での使い勝手を考える。
このシリアルボウルにスープを注ぐと、持ったときに熱いかしら。
さんま皿にピンチョスを盛ったら良さそう、果物もきれいに映るかも。
そういうことを考える。

それはすごく楽しいことで。
美のパイオニアが「買い物は自分を買うこと」なんて言うやつで。
金額の大小に関わらず、賢く立ち回ってくれる器を選ぶことが、
ひいては自分が賢く立ち回ることに繋がるのではと、、背筋も伸びる。

雑貨屋さんに出かけて
いつもより、一割増し顔が知的なつもりで。
食器を手に取り、何を盛ろうかとあれこれと思い巡らせていたら。
隣で君が言った。
「さっきから、お皿に、羊羹ばかり乗せているよ」

羊羹。
ステーキばかり盛っても、おむすびばかり盛っても
力強くて恥じらうだろうが、羊羹は渋い。
自覚が無い分、顔が赤らむ。
思い返して言い訳をするならば、わたしは使い勝手を考え、羊羹を乗せているのだ。
・黒い
・シンプルな直方体
料理としてイレギュラーな要素が、本来の用途と同時に映えるなら、
汎用性がある考えていたのだ。きっと。
ホワイトキューブで成立する作品は、ほぼオールマイティーに展示できる、
みたいなことだと思う。羊羹だけど。
そんなわたしの横で君は、サランラップのくっつかない陶器に、
空想のお刺身ばかり盛っていた。

箱、も好き。
空き箱。
頂き物をしたときの外箱とか、少し高級なチョコレートの箱とか。
クッキーの缶、紅茶の缶。
和の意匠も素敵だし、洋のパッケージにも乙女心をくすぐられる。
幼い頃から好きだった。
海の近くに住んでいた時期、グリコのキャンディーの六角形の箱に、桜貝を集めていたこと。
猫の形のブローチの入っていた青い箱の手触り。
クッキーの缶はいつまでもバターの香りがして、それも好きだった。
パッケージングって最重要だからね、と冷静に言えるようになった今も
可愛い箱や、勝手の良さそうな箱を集めてしまう。

箱の話を始めた理由は、
器を選びながら、とりあえず乗せてしまうものがあるように、
カワイイ箱を見たときにもどうやら、
「とりあえず、入れてみてしまう 」 ものがあるような気がするからだ。
最中の入っていた箱が、程よい大きさで、丈夫そうで、しゃれた柄をしていたので、
使い道を迷っていたら、君に言われた。
「この前の箱も裁縫箱にしたよ。」
恥らう。
これは一体、何なのだろう。
どうして決まったものを入れてしまうのか。
大きさの比較にマッチ箱を置くように、自分にも無意識の尺度があるらしい。

先日、空き箱を手にしている母に、用途を聞くと
「考え中だが、前回この箱を入手した際は、裁縫箱にした」
と宣ったので、笑ってしまった。
母は、お皿を選ぶときには 「お漬物を盛ってみる」 そうだ。

3月30日

遅く起きた朝に
布団の中で聞く
母親のスリッパの音のような
春の嵐の雨

階下で忙しく家事をするスリッパの音に似た
パタパタと軽い雨音で目が覚めた
窓を叩く雨の足

母は珈琲豆を買いに行くことを
「珈琲を飲みに行く」と言う。
家の近くのお店で豆の注文をすると
粉挽きしてくれる間に珈琲を淹れて出してくれるそうだ。
一人のお客さんに対して、一杯。
二人連れなら、二杯。
三人なら、三倍。(淹れるのを見るらしい)
いつもは母が買ってきてくれるので
わたしはその豆屋さんの淹れた珈琲を飲んだことがない。

母が昨夜
「明日、珈琲飲みに行く?」
と誘ってくれたのを思い出した。
わくわくと服を着替える。

珈琲豆屋さんの淹れる珈琲の方が
喫茶店の珈琲よりも
ニコニコ笑いながら淹れた感じがして今日は嬉しい。
わたしが「商店のご主人」と「喫茶店のマスター」に抱く
顔のイメージだけかもしれないけれど。
前者が「丸顔」で、後者は「面長でヒゲ」。
お店の前を通るときは、いつも香ばしい香りがしている。
珈琲豆を買う予定だけでこんなに嬉しくなれる日曜日。

4月3日

かつて身体が小さかった頃。
お菓子を作る母の横につき、おてつだいをしました。
使い終えた道具の汚れは、
環境のためにも、我が家の排水溝のためにも
布や紙で拭い、大まかに綺麗にしてから水洗いをします。
入りくんだ形で、汚れを拭き取りにくい泡立て器。
これに付いたバターや生クリームを
指で拭って舐めながら綺麗にするのは
「こどもの仕事」でした。
許可を得て行うお行儀の悪い仕事。
バターとお砂糖の混ざったじゃりじゃりした舌触りと原始的な甘さ。
お菓子の焼きあがりを待ちながらこどもの仕事をするのは、
手作りおやつの楽しみのひとつです。

最近、シフォンケーキを焼きます。
生地をオーブンに入れ、洗い物をする時に
やはり時折
「子どもの仕事」が行われます。
子どもだったわたしは
もう、だいぶ、けっこう、かなり、しっかりと大きいので
昔ほど仕事に真剣に取り組みはしないけれど、
ハンドミキサーに付いた、ほの甘い卵白と砂糖のメレンゲは、
幸せな記憶の味です。
ベタベタと甘く、こびり付くのです。

4月6日

バニラビーンズを割って中から種をこそげ取るのは面白いです。
虫のお腹を開いて卵を出しているような錯覚に陥ります。
甘い香りを放つツブツブをナイフに乗せて
「虫みたーい!」って毎回大きな声で口に出します。
気持ちを誤魔化したいときは、いつでも大きな声で言います。

4月9日

ある夜は、
「朝ごはん、肉まんでいい?物産展で買ったんだけど」
と言われて嬉しくなって
「望むところだ!」
と答え、朝が来るのを楽しみに眠りました。
ある夜は、
「美味しいフランスパンを買ってあるよ」
と言われて嬉しくなって
「朝ごはんが楽しみだよ!」
と答え、布団に飛び込みました。
ある夜は、
焼きあがったシフォンケーキを前にして
「生地が落ち着くのを待って、朝ごはんに食べよう」
と言われて嬉しくなって
「今から五分ぐらい寝てきたら、
もう明日ってことにして、朝ごはん食べてもいい?」
と聞いて
不審な顔をされました。
好きです、朝ごはん。

ある早朝、
主張を控えた犬のご主人が
「眠い。だけど、起きて新幹線に乗れば、牛しぐれ煮おむすびが食べられるから起きる」
と宣い、
眠る前に自作したおむすびの動力で布団から立ち上がったので、
わたしはこの人のことが好きだ、と思いました。

明日の朝ごはんを楽しみにして眠ります。

4月15日

赤福はかわいいね。
整列して、一見おしとやかなんだけど、小粋な感じ。
つやつやと整った形を見ていると、
噺家の座る、紫の座布団を思い出すんだ。
だからかな。
赤福って口が達者そうなんだよ。
気取ってないけど上等なんだ。
あんまり愛らしいから、思わずキスしたんだけど
あんこが、口についてさ。
仕方ないから食べちゃったよ。
夜中だったけど、これは仕方ないなぁ。

赤福を持ち帰ったのは母でした。
「今日仲直りした」とケンカの顛末を報告すると
「よかったね。実はそれは、私が旅行中、神仏にお願いしたからなのよ。」と神妙な顔で言いました。
神社仏閣に立ち寄ると、
「ついでに、直近のお願いなんですけど」に
カミサマに頼んでくれたらしく。
多方面にご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
(すぐ取り計らってくれるなんて、カミサマって活発ね。)

4月17日

タケノコご飯
若竹汁
焼きタケノコ(塩、レモン、ソース二種類)
タケノコと牛肉のしぐれ煮

・下ゆでしたタケノコの、皮を剥くのって、ちょっとエロいね。
脱がしてる感じでさ。
・どこからが食べられるか分からないから
剥いた端っこを試しに食べながら料理して、口の中がイガイガになる。
・レシピは穂先ばっかり要求するな!
・タケノコと調理して蕩けた昆布は美味しい。
・ていうかもっと食べられる。
・食べ盛りじゃないのが悔しい。
・竹、かぐや姫を出しがち。

4月18日

「変な生き物展」を見に行く。
展示は主に水族である。
いかにも変であった。
しかしどうしても「食べられるか」という
生物として正しい観点から見てしまう。
すぐシャリに乗せてみたくなるし、
形態によってシャリを乗せる場合もある。
結論としては「変な生き物もお寿司になる」。
次回は醤油を持参しよう。

さて、動物園では
「焼いたら美味しそう」
とは発言しない。
それは何故か。
檻の関係上、動物に聞こえるからである。

4月22日

「美味しくて、けしからん!」
「こういうもの売らないで欲しい!」
文句を言いながら、
とりとめなく、チョコをつまみて。
ナッツもつまみて。
ミックスナッツもまた、けしからぬ商品なり。
アーモンド、くるみ、マカデミアナッツ、カシューナッツ。
一度封を開くと、一通り食べねば仕方がない。
ものをいい、はらもふくくるわざなり。

5月11日

夏みかんでマーマレードを作りました。
天気が良く。
暑く感じるほどの。
ジャム喰いは幸せでした。
また、朝、目覚める楽しみ。
お酒呑みだと
朝から呑んでいるわけにもいかないでしょうが
ジャム喰いは
朝でも昼でも夜でも好きな時に
ジャムが食べられます。
ビバビバ。
バーでジャム食べたって構わないでしょう。

ところで、酒場に関してですが。
「バー」という単語を口にする時
わたくしごときがBARですって、ガキが粋がってけつかる、くわーっ!
という照れ、自意識の過剰さ、自嘲のアヒル的な引き笑いが生じるので
なるべくカタカナの「バー」か
いっそ「婆」に近い気持ちで発音します。

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