Category: 犬


8月14日

「どうやら、犬にナメられている。」

目を覚ましてリビングへ入ると、ワクワクした顔の犬と目があった。
お早うと挨拶を交わす。
部屋に昨夜と何ら変わったところはない。
彼が一晩中ひとりでいい子に過ごしていた証だ。なんて賢い子。
わたしは彼の待ち望んでいた「ご主人」ではないけれど、
せめてワクワクに答えよう。
そう考えて距離を詰めると、彼はおもちゃを咥え、挑戦的な眼で走りだした。
いざ!

追いかけっこ、ぬいぐるみ投げちゃうから取ってきてねゲームをして遊ぶ。
楽しいなあ、愉快だなあ。だけど遊んでばかりはいられないな。
先ずリビングの床を拭きたい。足型がスタンプみたいについている。
大人のわたしは頃合いを見て切り上げ、雑巾を取りに洗面所へ立つ。

夜の間、彼の手が届かない場所に移動させていたものを、
定位置に戻したのがよくなかったのだ。
リビングに戻ると、犬は棚に前足をかけて立ち上がり、御供えの桃を食べていた。

コラ!!
一心不乱に歯を立てる小さな背中を一喝するや否や、一目散に彼は走り出し、
レースカーテンの隙間からベランダへ飛び出した。
覗き込むと、ベランダの床に腹這いになり、自ら伏せのポーズで反省を示している。
一歩近づけば、伏せのままで後ずさり。
漂う緊張感。
伏した彼の前とわたしの間に、室外機の吐き出す熱い空気と無言の時間が流れた。

わたしは仁王立ちで言った。
「あのね、なんで怒られたのかが、すぐに思い当たるようなこと、するんじゃないよ」
廊下に立たされた小学生みたい。
叱った瞬間に自分でバケツを持って廊下に飛び出した、しょげた小学生。
南向きのベランダには日差しがじりじりと照りつける。
朝から30℃を超える日、毛皮を着ていらさぞ暑かろう。
「もういいから、中に入りなさい」
そう言っても彼は動かない。
仕方がないので抱き上げて部屋に入れた。

転がる桃を固定しようとしたのだろう。柔らかい果肉にはしっかりと爪の痕。
ギザギザに剥けた皮、べたりと潰れた桃のおしり。
ご主人の前では勝手にものを食べるなんてこと、しないのに。
ナメておられるのか。ナメておられるのね。
無言で掃除を始めると、彼は少し距離を置いて付いてきた。
怒ってますか?じっと見てくる彼。
怒ってますよ、居ることに気がつかないふりをするわたし。
ここで湧いた疑問が二つ。
①叱ったときって、いつまで怒ってたらいいの?
②なんでナメられてるの?

一つ目。
きっと、わたしが怒っていたことを忘れたときじゃ、ないでしょう。
いつまで怒っていたらいいのだろう。
相手が理解したのかなんて、分からない。
「分かったの?」と訊くと、バツが悪そうに、下ばかり向く彼の顔を撫で、
彼がわたしの顔を舐めたところで終わりにした。
ナメられてる子に舐められて終了。

二つ目の理由は、薄々勘付いている。
犬にとって、たまに遊ぶ友達でしかない、という事実に加え、わたしも昨日、桃でやらかしたのだ。
デザートに食べた桃のおくるみ(発泡スチロールの衝撃緩和ネット。フルーツキャップというらしい)を弄び、
肘関節、あわよくば両ひざにも装着してポーズを決め
「シャキーン!」とか「腕は折れても心は折れていないわ!ももレンジャー!」
などと言ってへらへらしようとしたら。
「桃のそれは、毛がいっぱいついてるから、いじりまわさない方が良いわよ」
「桃の毛は散るし、硬くて痛いからね」と、
遊びの気配を察した母に諭された。
その通りだ。
すみません、いえ、どうしてもやりたいってわけじゃないんです。本当です。

ちょっとベランダで伏せてくるね。
もうじき梨の季節になったら、両手足に装着して変身しよう。梨なら毛も散らばらないし。
「キュア黄緑!どうしたって二十世紀よ!」とか言おう。
そしてまた、犬になめられる。
望むところだ。

9月3日

目を合わせると噛まれるので
「いやーん!」「かわいー!」などと言って迂闊に近寄ってはならない生き物。
狂犬病の予防接種をしていない不届者もいるので、人も犬も信用するな。
わたしは犬に寄らず、
犬もわたしに寄らない。

そういう生活をしてきたが
「遊ばへん?」と言って犬が手におもちゃを乗せてきたり
泣いていると、様子を窺いにきたりする最近。
犬について幾つか。

『 犬と油 』

①深夜、ゴミ箱をひっくり返し、
発見した明太子せんべいの包装ビニールを舐め回した後、
ビリビリ裂いて散らかした罪状で逮捕状をとった。
彼は怒られる気配を察知した瞬間、例の如くベランダに飛び出した。

「夜中におせんべいの包みを舐めねばならないほど、
お腹が空いていましたか?
貴方はそんなに卑しい犬なの?」
訊いてはみるものの、答えず、平身低頭して縮み上がっている。
こちらが極悪人に思えるような怯えっぷり。
ぶるぶる震えすぎて身体が心配になる。
実に卑怯なり。

(犬のご主人に、あの子はおせんべいの袋を舐めたが、
犬とは元来そのような卑しい面があるものか?と問うと
「それはそうだ」との回答があった。そうなのか。
でも、舐めて良いってことにはなりませんからね。)


②犬のご主人が帰ってくるのを、扉の前で待っている。
リビングの扉の前で、立ちつくしている。
待つのは一向に構わないが、10時まで眠ると宣言したご主人を、
2時も前から立って待っているのはいかにも不憫に見えたので、
時計を示して説明するも、困ったような顔をするだけ。
待つのが彼の仕事なのか。

20分後。
ふと目を向けると、まだ扉の前に立っている。
「わあ、ハチ公って本当に待ってたっぽい!実話!」 と感心した。
(その5分後、彼は寝そべって骨形のおもちゃを齧っていた)


③犬に遊びの誘いを断られたときの、悲しさったらない。
ベランダに飛び出して拗ねたくなる。


④調理中に近くを通ると、寄ってきて熱心に手を舐める。
手から食べ物の匂いがするようだ。
わたしではなく、食べ物が好きなのだ、と思うと、
これもベランダに飛び出して拗ねたくなる。


⑤よく晴れた朝。
わたしがひとりで緑道を歩いていると、
道端でおじいさんが柴犬の顔を覗き込んでいた。
散歩中のようで首にはリードがついているが、
犬はおじいさんの足元で横向きに倒れている。
散歩中に熱中症で困っているのかもしれない。
そう思い「大丈夫ですか」と声をかけた。
おじいさんは顔をあげ、照れたように笑って仰った。
「いえ、犬が油を売ってるんです」
犬が、油を。
油売り犬は首だけを起こし
「なぁにお父さん、誰か来たの?」と半目でキョロキョロ。
ちくしょう、可愛い。
この子から油を買いたい。


⑥犬はわたしの向けるカメラに対して良い顔をしない。
「へっ!」って言う。そういう顔をする。
けどまた、犬のご主人に内緒でクリームチーズをつまみ食いするときは、
君にもほんのちょこっとだけあげる。

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